労働統計局長解任により米国はマーケットの信頼を失う

2025/08/15

米国

8月1日に米雇用統計が発表された数時間後、統計の責任者である労働統計局(Bureau of Labor Statistics。以下、BLS)の局長が解任されました。

Trump fires commissioner of labor statistics after weaker-than-expected jobs figures slam markets

公表された統計の内容が事前予想を下回っただけでなく、前月・前々月分の改定が大幅な下方修正だったことを受けて、雇用減速を示す内容はトランプ大統領を貶めるための捏造であるというのが解任の理由ですが、捏造であるという証拠は提示されていません(なお、捏造と主張しているにも関わらず、弱い雇用統計を理由に利下げを要求しているトランプ大統領は完全に矛盾しています)。

米国において省庁幹部の多くは政治任命ですから、解任は大統領権限の及ぶところです。

しかし、今回の解任には正当な事由がなく(本当に捏造ならば証拠が示されているはずです)、ただただ統計の内容をトランプ大統領が気に入らなかったにすぎません。

トランプ大統領はすでに気に入らない政府職員を数多く解雇していますが、今回の事案は単に犠牲者がまた一人増えたということで終わるものではありません。


BLS局長解任によって米国が失ったもの

米雇用統計は毎月第1金曜日に発表される経済指標で、マーケットが最も注目するものです。

これだけ注目されている経済指標の内容が気に入らないという理由だけで解任されるのですから、後任局長はトランプ大統領の怒りを買うかもしれない内容の雇用統計を今後発表することにためらいを覚えるのは当然です。

それでも毅然と正しいデータを公表するのかもしれませんが、トランプ大統領に忖度して統計の内容に手を加えているのではないかと疑われるだけでBLSの信頼度は地に堕ちます。

そうなると問題は雇用統計の信頼度だけに留まりません。

BLSは雇用統計をはじめとし、雇用コスト指数(ECI)や労働生産性といった雇用関連統計を公表しているだけでなく、消費者物価指数(CPI)・生産者物価指数(PPI)・輸出入物価・個人消費といった経済指標も集計しています。

マーケットが重視する経済指標ですが、これらにおいても数字が操作されている可能性を疑う状況が現出してしまったのです。

BLS局長の二の舞を恐れる他の政府統計部門においても、トランプ大統領に忖度する可能性を拭えなくなるわけですから、米政府が発表する統計はすべて信用できなくなります。

トランプ大統領は政策運営が上手く回っていると強調したいあまり、マーケットの信用を叩き捨てるという悪手を打ってしまいました。


後任BLS局長は事態を改善させるのか悪化させるのか

ここで後任BLS局長にマーケットが信用できる人物を置くならば最悪の事態は回避できるかもしれません。

しかし、トランプ大統領はそのようなことは意に介しておらず、自分にとって都合の良い人物を後任BLS局長に指名しました。

後任BLS局長候補に指名されたのは、ヘリテージ財団のエコノミストであるEJアントニ氏です。

Trump Taps BLS Skeptic To Replace Leader He Fired Over Grim Jobs Report

ヘリテージ財団は保守系のシンクタンクで、第2次トランプ政権の政策を実質的に取り纏めた「プロジェクト2025」で知られています。

アントニ氏もプロジェクト2025の著者の一人ですので、トランプ大統領を強く支持するイエスマンになるであろうことは容易に想像がつきます。

つまり、トランプ大統領のために経済指標の中身を積極的に操作するのではないかと思わされる人物が指名されたわけです。

エコノミストという肩書を持っているのでBLS局長として適任と見ることもできますが、アントニ氏はエコノミストとしての評判もかなり悪いようです。

Here's Why Trump's BLS Nominee Has Ignited A Cascade Of Criticism From Economists

政治シンクタンクに籍を置くエコノミストという点だけでもキャリアとしては詰んでいるように思えますが、エコノミストと名乗っていること自体顰蹙を買っているようです。

記事によれば米国は2022年以降リセッションであるとアントニ氏は主張しているようですが、当然にこれを裏付けるデータは存在しないわけですから、エコノミストにしてはありえないほど大胆な主張です。

筆者は今回のBLS局長指名までEJアントニ氏というエコノミストのことは全く関知していなかったのですが、つい最近において雇用統計の集計プロセスを全面的に見直すべきという持論を展開していたようです(定かではありませんが、このことが今回の局長指名に繋がったと考えられます)。

雇用統計の集計プロセスには色々と問題があることは市場参加者の多くに知られており、当然エコノミストであれば誰もが知っていることであり、それを修正するのは簡単な話ではないことも承知しているため敢えて現行方法を容認しているわけです。

問題があるが故に事前予想が難しくなっており、予想が大きく外れることが度々生じます。

これがあるために、マーケットが最も注目する経済指標となっているのです。

しかし、アントニ氏の問題提起はあたかもオリジナルな意見であるかのように臆面もなく提示されていることに底の浅さを感じます。

仮にアントニ氏が統計の精度を高めることができたとして、今回のような大幅修正は起きなくなるかもしれませんが、いずれ関税によって景気失速・インフレ再加速が生じれば、トランプ大統領が気に入らない数字が今後頻出することになります。

その時、アントニ氏はどう対応するのでしょうか。

都合の悪い数字は公表停止にでもするのでしょうか。

少なくとも、今回の数字が捏造であるならば新BLS局長は修正値を今月中に再発表する必要があります。

おそらくは捏造ではないので修正値は発表されず、9月5日に次回公表を迎えることになるでしょう。

今回は大幅下方修正でしたから、次回はその反動で上方修正の改定が入る可能性が高いですが、もしそうなった時には、新BLS局長の忖度が働いたのではないかという疑念が生まれるでしょう。


益々権威主義体制に向かうトランプ政権

ちなみに、トランプ大統領は民間エコノミストが都合の悪い経済予想をしただけでも解任しようと動いています。

Trump tells Goldman Sachs CEO David Solomon to replace bank’s economist over tariff predictions

ゴールドマン・サックスのエコノミストチームは、トランプ関税による米消費者への影響はまだ一部しか及んでおらず、年内には影響が大幅に増加すると予想するレポートを最近公表していますが、その内容が気に入らないトランプ大統領はチーフエコノミストのヤン・ハチウス氏の解任を要求しています。

筆者はハチウス氏とは面識がありますが、非常に見識が高く、理路整然と説明される方で、筆者としてはウォール街で最も信頼できるエコノミストの一人と位置付けています。

そのハチウス氏が率いるチームが纏めた今回のレポートも信頼の置ける内容ですが、あくまでも将来予想ですから数ある未来シナリオの一つに過ぎません。

予想が外れて嫌味を言うぐらいならばまだ分かりますが、予想の段階で解任要求するのは最早言論統制です。



このような大統領のもとで新BLS局長はマーケットの信頼を勝ち取ることが果たしてできるのでしょうか。


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